日本三大桜

今年3月31日と4月1日に、薄墨桜と神代桜を見に行きました。
その結果、2014年4月19日に見に行った滝桜と合わせて三大桜をみたことになります。
そこで、緊急事態宣言で自宅引きこもりの憂さを晴らすためにここでまとめます。
(サムネイル写真ですので、クリックすれば大きくなります)

1. 三春の滝桜

2014年4月19日、白石川堤一目千本桜と船岡城址公園の花見を楽しんだ翌日、
帰宅途中に三春の滝桜に立ち寄りました。
二回目の訪問でしたが、駐車場も整備され、大勢の観光客で賑わっていました


「三春の滝桜」は樹齢千年以上、高さ13.5m、根回り11.3m。
滝が流れ落ちるかのように花をつけることから「滝桜」と呼ばれるようになったそうです。

今年は4月1日に開花し、今が満開なのですが、緊急事態宣言発令に合わせて、
4月8日から観光客の受け入れを中止し、閉鎖されました。

6年前の写真ですが、現在も同じだと思いますので、お楽しみください。



途中から青空が見えてきました。






2. 根尾谷の淡墨桜

今年の3月31日夕刻と、4月1日の朝方の2回、花見に訪れました。
3月31日は小雨がぱらついていましたが、4月1日は雨はやんでいましたが曇天でした。
コロナ騒動の影響か、観光客は少なく、駐車場にもすんなりと入れました。


薄墨桜とは、岐阜県本巣市の根尾谷淡墨公園にある一本桜の事です。
樹齢千五百年以上のエドヒガンの古木です。

淡墨桜は蕾の時は薄いピンク、満開になると白色、散り際には特異の淡い墨色となります。
この散り際の花びらの色にちなんで「淡墨桜」と名付けられたそうです。
樹高16.3m、幹の周り9.91m、枝張りは東西26.90m、南北20.20m。

幹の老化が著しく、作家の宇野千代がその保護を訴えて活動しました。
今では、樹木医や地元の人々の手厚い看護によって守られています。

約1500年前、都での迫害を逃れてこの地に避難していた男大迹王(後の継体天皇)が、
この地を去るにあたり形見として植えたのが始まりである、という伝説があります。
その時に残された下記の歌が「うすずみ」の由来ともいわれています。

身の代と残す桜は薄住み(うすずみ)よ
千代にその名を栄えとどむる。


3月31日、小雨の中、淡墨桜を観光しました。




4月1日の朝方、再度、淡墨桜を見に行きました。
幸い、雨は上がっていましたが、相変わらずの曇天でした。






3. 山高の神代桜

4月1日朝方、淡墨桜を見た後、帰途に就きました。
そして、午後3時頃、山高神代桜に立ち寄りました。
朝方は雨が止んでいましたが、この頃には、小雨が降っていました。
他の観光客は数えるほどで、駐車場は空いていました。

神代桜(じんだいざくら)は、山梨県北杜市武川町山高の実相寺境内にあるエドヒガンの老木である。
樹齢は、千八百年とも、二千年と言い伝えられている。

日本武尊が東征の際にこのさくらを植えたと言われており、
13世紀の鎌倉時代に日蓮が樹勢の回復を祈願した、という伝説があります。

1922年(大正11年)に国の天然記念物に指定された頃は、
高さ13.6m、枝張り東西27.0m、南北30.6m、幹回り10.6mありましたが、その後、すっかり弱ってしまいました。
2002年(平成14年)以降、調査が行われ、手入れを重ねた結果、現在に至っています。





神代桜は、実相寺というお寺の境内にあるせいか、観光地らしくないたたずまいでした。
というのは、周囲に大勢の観光客を受け入れる広い駐車場がないからです。
境内には、たくさんの桜が植えられており、ちょうど、満開で素晴らしい眺めでした。

また、滝桜や、淡墨桜の苗木も植えられて、かなりの大きさに育っており、ほぼ満開でした。

2008年(平成20年)から2009年(平成21年)にかけて、本桜を含む14種の花の種を
8ヶ月半ほど、国際宇宙ステーションに滞在させて、地球に戻し、
無重力状態が発育に与える影響を調べる実験が行われました。
宇宙から帰還した約120粒の種のうち、期間後発芽したのはわずか2粒でした。
そのうちの1本は、宇宙桜として実相寺で公開されています。

次回、実相寺を訪問する際には、これらの桜もじっくりと堪能させてもらうつもりです。

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